【こんなところに】植民地時代中央アフリカを旅行?してた日本人女性がいました。
ワイルド系日本人女性の歴史1『桂ユキ子』
むかし古本屋で桂ユキ子著「女ひとり原始部落に入る」という題名の本を見つけ、題名からすでになんかアレな感じにひとり胸をうたれてジャケ買いならぬ背表紙買いしてしまいました。
暇つぶし、あるいはウケ狙いに買った古本は、
私の一番好きなノンフィクション旅行記となりました。
女ひとり原始部落に入る―アフリカ・アメリカ体験記 (1962年) (カッパ・ブックス)
大正生まれの芸術爆発系大和撫子
カッパブックス(光文社)による人物紹介によると、
『平気で自分の年齢をズバリと言うひとだが、ここでは大正生まれとだけにしておこう。・・』
父は大学教授で母は大垣の殿さまの一族の出で、、と続き、現在前衛画家として第一線で活躍等々、と、なんとなくセレブ感のある紹介ですが、「殿さまの一族の出」とか時代を感じます。
大正生まれのおばあちゃんがまだアラフォー・アラフィフくらいだった、60年代はじめ、戦後からやっと近代っぽくなってきて美空ひばりが結婚した昭和37年(1962年)、東京オリンピックの2年前に、この本は初版となっています。
本に添えられた著者画像がこちら。
なんか、大正生まれのおばあちゃんのイメージとか女性らしさが云々とかぶち壊すインパクトです。
この女性が後に日本で初めて女性芸術家協会を設立するなど、岡本太郎をはじめとする戦後の日本芸術を支えた文化人の一人だとのこと。
当時の日本で、どのように抵抗すればこんなキャラでいきてけたんでしょう?
樋口一葉の次の5000円札の絵柄にこの写真を採用すれば景気もワイルドに回復していくような気がします。
疲弊する地方の豊かさと発展する都会の病気を見つめる芸術家
現代でも某番組でこんなところに。。と表現されるアフリカ。
50年前の中央アフリカは植民地状態の都市部と、情報も全て隔絶した手つかずの大自然の中にある原始部落でした。 桂ユキ子さんが訪れたのは後者。
一方、アメリカは名実共の超大国で世界の中心。
摩天楼とはいわれるものの、著者にいわせれば、広い世界に作られた働き蜂の巣であり、中にはロフト族とよばれる今風に言うとシェアハウス生活(ただし電気水道は無し)の人々がいたそうです。60年代のアメリカは発展すると共に病んでいたそうです。
ヒッピーカルチャーの時代でした。
都市部の構造は今も昔もそんな変わらない気がします。
この水と油のような二箇所をハシゴして描かれた旅行記には、アフリカの豊かな原始生活と、アメリカの若い芸術家達のロフトでの原始生活とが、二枚重ねのシリーズ画のように描かれていて、当時の、まだ戦後の日本に面白い女性がいたんだな。と。
時代の見方がかわりました。というか、一見画一的に見える時代や、国、社会、にも、かならず色んなタイプの人間ているものかのかもな。と考えるようになりました。